学生時代の成績は、どうにか高校入学・卒業できる程度。
小学生5年生頃、勉強している意味が見出せなくて、私はなぜ生きているのか?今後どう生きるかどうかを真剣に考えた。
生きていれば楽しいこともある。生きるためには、仕事をし、自分自身が楽しめる何かを探していこうと。死ぬときに結果が出ると。
勉強が好きになれないのであれば、仕事で体験しながら必要な知識・技術を身につけていこうと考えた。
かといって、知識も・経験もない人間を雇ってくれるところは、特に四国・香川県では難しいことでした。
配管製造工場や事務機器店を転職しながら、転機になったのが自動ドアの会社でした。
もともと機械系の仕事ができればと思っていたので、所長から希望を聞かれ、「設計」を希望して、京都・名古屋と転勤した。保守作業から資材、設計といろいろな部署を経験した。失敗の連続で仕事仲間に助けられる日々でした。
基礎知識の不足を痛感した苦い経験でした。
そのとき、東京の友達から誘いがあり、「電子機器商社」に転職した。
電子機器商社では、当初「業界最先端の機器営業」として入社したが、2年後にはパソコンCADを販売する