【自己紹介】

 学生時代の成績は、どうにか高校入学・卒業できる程度。

 小学生5年生頃、勉強している意味が見出せなくて、私はなぜ生きているのか?今後どう生きるかどうかを真剣に考えた。

 生きていれば楽しいこともある。生きるためには、仕事をし、自分自身が楽しめる何かを探していこうと。死ぬときに結果が出ると。

 

 勉強が好きになれないのであれば、仕事で体験しながら必要な知識・技術を身につけていこうと考えた。

 かといって、知識も・経験もない人間を雇ってくれるところは、特に四国・香川県では難しいことでした。

 配管製造工場や事務機器店を転職しながら、転機になったのが自動ドアの会社でした。

 もともと機械系の仕事ができればと思っていたので、所長から希望を聞かれ、「設計」を希望して、京都・名古屋と転勤した。保守作業から資材、設計といろいろな部署を経験した。失敗の連続で仕事仲間に助けられる日々でした。

 基礎知識の不足を痛感した苦い経験でした。

 そのとき、東京の友達から誘いがあり、「電子機器商社」に転職した。

 電子機器商社では、当初「業界最先端の機器営業」として入社したが、2年後にはパソコンCADを販売する部署に異動、営業をするが、パソコンが何もわからない状態。

 仕事仲間に教えてもらいながらも、コンピュータさえも何も知らない。

 実体験で覚えていくしかない状態で、2年後には一人で仙台営業所に異動。

 当初は、本社の支援を受けていたが、営業・デモ・納品・操作教育・保守することをこなすことが必要となった。

 拡販は、パソコン仕入れ先との連携をするが、パソコンの知識不足は、試行錯誤して覚えるしかない状態で、ここでも右往左往の日々。

 その後は、ソフト開発会社に転職して、全く違う業種のお客様にソフトウェアを販売した。この会社は、自社開発ソフトを販売する体制ができていない。どのように売るのか?体勢は?何で利益を出すのか?模索している会社でした。

 転職したときには、すでに自社ソフトができており、導入実績で横展開する段階でした。

 販売ターゲットが明確でなく、お客様個別に要望に合わせた見積・販売をする形態。

 利益を生む方法にソフトウェア保守がありましたが、基本が決まっておらず個別見積・・・・課題が山積み。

 私には、みんなをまとめる力もなく、営業から営業事務へと

 離職後は、現在のパソコン講師・設置設定・修理が中心となる。

 ある団体で、営業展開できないかと模索するため会員になり、いろいろな成功事例を聞き、会社の問題も聞いているうちに、何か手助けできるのではないかと、研究したのです。

 

 やはりトヨタは、凄かった。

 PDCATOCなど必要なノウハウを自社向けに発展させ、成功していた。

 全部署が成功しているわけではないが、巨大企業のキーマンがすごいのだと思う。

 著書になっているPDCAで気になったのが、人間関係でした。

 

 どんなに優れたPDCAであろうと、人間関係は簡単ではありません。

 私自身、合わない人は、全く折り合えないと思っています。

 研究しているうちに、「アドラー心理学(哲学)」が一つの解決策を感じました。

 それは、同感する部分が多分にあるからです。

 

 

 人間関係を改善するための指標となる「心理学/哲学」、人生設計を実行できるノウハウを見つけていただき、気持ち良く仕事や家族関係、近所付き合い、趣味の仲間作りをして楽しい人生をお過ごし下さい。